国産初の量産型補聴器を開発

リオネット補聴器を作るリオン株式会社

リオネット補聴器は、東京都国分寺市に本社を置くリオン株式会社で作られています。

 

リオン株式会社の誕生

リオン株式会社は、物理、音響学を研究する「一般財団法人小林理学研究所」が母体となっています。
「一般財団法人小林理学研究所」が、リオンの前身である「株式会社小林理研製作所」を生み出す契機となるのは、ロッシェル塩の研究でした。太平洋戦争が始まる頃、潜水艦に対する防御用兵器としてロッシェル塩結晶を使用した水中聴音器の開発、生産が急務となり、研究所として本格的にこれに取り組むことになりました。その後、様々な音響機器を製造し続け、昭和35年(1960年)に、社名変更してリオン株式会社となりました。リオンのリは「理学」の理、オンは「音響」の音が由来となっています。
※写真は左から 創始者 小林 采男・佐藤 孝二


 

1948年 日本で初めて量産型補聴器を発売

小林理学研究所の設立者でもあり、当社の顧問でもあった佐藤孝二には、「音響学は、人生の安全と慰安に奉仕する学問である」という理念があり、世の中の役に立つものを作り出すことを志していました。
昭和22年(1947年)の春頃、東京大学工学部の淵田隆門教授が、難聴で悩んでいたことから、米国製ミニチュア真空管を用いた補聴器を自作し、当社で製造販売を始めていたクリスタル・ヘッドホンとラペルマイクロホン(小型マイクロホン)をこれに取り付けたいと持参されました。これがきっかけとなり、小林理学研究所で補聴器の試作にとりかかります。
こうしてできあがった試作品を難聴者が試聴した結果、予想外の好評を収め、多くの難聴者の方に補聴器を使用してもらいたいという想いから、昭和23年(1948年)5月に当社は日本で初めて量産型補聴器 H-501型を発売しました。

 

補聴器の普及のための努力

量産型補聴器を発売した当時は、医師や福祉行政官にすら補聴器がほとんど知られていなかった時代でした。当社では、ろう学校をはじめ、全国の耳鼻咽喉科、電気店、福祉行政官に補聴器の説明やPRをして回るという努力を続けました。そして、昭和25年(1950年)4月、身体障害者福祉法の施行によって、当社の補聴器が難聴者の補装具として厚生省から認定されました。ここから徐々に補聴器の普及が始まり、当社の想いが難聴者の方へ届き始めます。

 

リオネット補聴器誕生

昭和28年(1953年)、サブミニチュア管を使用し小型化した補聴器H-520型は、発売前から予約が殺到し、生産が間に合わず予約販売せざるを得ないほどの人気となりました。この補聴器からリオンの補聴器は「リオネット補聴器」という愛称をつけることになりました。

お客さまとの関わり

東京教育大学国立ろう教育学校の川本宇之介校長が代表であった、「ろう教育用補聴器の研究」に当社も参加し、集団補聴器の試作、改良も行いました。
昭和41年(1966年)には直営販売店であるリオネットセンターが新宿に設けられ、個々のお客さまの相談に応じながら、それぞれの耳の特徴に合う補聴器を提供するための取組みに力を入れていきました。



難聴者のために補聴器を普及したいという当初の想いは現在まで続き、当社は日本の補聴器市場を常にリードし続け、信頼の実績を受け継いでいます。




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